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”飯舘の肝っ玉母ちゃん”といえば、ニコニコ菅野農園の菅野クニさん。クニさんは、飯舘村で栽培した山菜やナツハゼなど次々と商品化したり、様々な地域イベントなどを企画し、飯舘村の魅力を伝えるべく精力的に活動しています。飯舘愛溢れるクニさんですが、そこには意外な真実がありました。
菅野クニさんは福島県郡山市のご出身で、飯舘村とご縁が出来たのは、ご主人との結婚がきっかけ。しかし、当時、ご主人は岩瀬農業高校で教鞭をとっており、結婚生活を村外でスタートしました。その後もご主人の仕事柄、拠点を変えながら、昭和62年(1987年)にご主人の実家、飯舘村にやってきました。クニさんも保健師として仕事を持っていましたので、飯舘村に住まいはあるものの、仕事を終えて寝に帰るだけという状態でした。
ですから、村内には親しい友達もおらず、飯舘村のことを知る機会もなく、クニさん曰く「さほどの愛着もなかった」と。そんなクニさんが、どうして、現在のように飯舘村に想いを馳せるようになったのでしょうか。
|「若妻の翼」で出会った仲間が教えてくれた”飯舘村の良さ”
飯舘村に移って2年後の平成元年(1989年)に、村が「若妻の翼」という事業を立ち上げます。これは、村内在住の若いお嫁さんたちをヨーロッパへ研修派遣し、海外の農村文化や生活を直接体験してもらい、村づくりや生活改善のヒントを持ち帰ることを目的としていました。クニさんはこの事業へ参加します。そして、帰国後、当時の村長に「研修旅行記を文章にまとめてはどうか」と提案を受けたのでした。

「若妻の翼」の記録であり、飯舘村の女性たちのリアルな声が集められた貴重な一冊(しっかり読み込んだため、多少の本の汚れはご容赦ください)
そこで、7人の編集員が集まり、日夜編集会議をしているうちに、家族のこと、村のこと、仕事のことなど、何でも話せる友達が出来たのでした。クニさんにとって、これは、思いがけない副産物でした。7人のメンバーは、飯舘村出身者同士で結婚した人もいれば、クニさんと同じように結婚を機に飯舘村に嫁いだ人など様々でしたが、「農村の嫁」という同じ境遇ということもあり、分かり合えることがとても多かったといいます。
そんな中、色々話を聞いていると、編集仲間の一人が「私は、夫と別れても飯館村に住み続けたい」というのです。この言葉にクニさん衝撃を受けました。「どうしてそこまで想うのだろうか」という気持ちと同時に「私なりに村の良さを探してみようか」と思うようになりました。

「飯舘村の女性たち」の活躍は、今も健在
|震災をきっかけに芽生えた2つの使命
仲間を通じて飯舘村の良さを感じたクニんさんは、改めて飯舘村の魅力は何なのかを探り始めました。豊かな自然、里山の恵み、四季折々の風景、そして人々の温もり・・・。言葉にすればありきたりかもしれませんが、飯舘村で得られるその一つ一つはここでしか味わえない唯一無二のものでした。
クニさんは”飯舘の暮しの魅力”に気づき、ご主人と「定年退職したら、こんなことをしようか」と話していた頃のことでした。東日本大震災が起こったのです。原発から約60km離れた飯舘村が避難しなければならない状況になるとは、誰が想像していたことでしょう。村内に激震が走りました。いよいよ村を離れることになった日、村に住む義父の兄弟たちはまるで今生の別れのように、お互いをなだめあっている姿に、クニさんはある強い想いが沸き起こりました。
「年老いた両親を必ず、村に戻してあげなければならない。必ずや飯舘に帰ってこなければ」
そして、もう一つの使命としてこの時、決意したことがありました。飯舘村の家の裏山では山菜がよく採れました。この山菜を義父はとても大事にしており、飯舘村の山菜を販売できるようにするということです。

震災が起こる前から、義父が手掛けていた「ウルイ」を販売できるように、ご主人と共に準備を始めていたのでした。もちろん、自生している山菜は販売できなくなりましたが、安全な環境で栽培した飯舘村の山菜を必ずや販売ルートに乗せること。それが、飯舘村の食の安全を証明することであり、義父の故郷への想いを未来へつなぐことだと強く胸に刻んだのでした。
|ナツハゼを特産品に
また、裏山にはナツハゼの木も自生していました。秋には濃い紫色の真珠ほど小さな実をジャムやシロップにして楽しんでいました。ナツハゼは、アントシアニンなどのポリフェノールを含み、強力な抗酸化作用があり、老化防止や生活習慣病予防、免疫力向上、さらには抗インフルエンザ作用も研究されているということを知ります。まさに、現代人にとってありがたいこと尽くしのパワーフードだったのです。以前からなんとなく関心があったナツハゼでしたが、本格的に村の特産品としたいという情熱が、クニさんの中からムクムクと湧いてきました。


クニさんが「里山の黒真珠」というキャッチコピーをつけたナツハゼ、まさに黒く輝く真珠のよう
そして、震災から6年が経過した平成29年(2017年)3月31日に、長泥地区の一部を除く大部分の避難指示が解除され、同年4月から本格的な帰村が始まりました。この日を境に村民は元の自宅へ戻り、生活再建に向けた取り組みが開始されました。クニさんの一つの使命はやっと果たすことできました。さらに、その後、たくさんの出会いやチャンスを得て、飯舘村の山菜を販売することが実現しました。

マルシェに並ぶ「ウルイのピクルス」「ギョウジャニンニクみそ」「なつはぜシロップ」「なつはぜポン酢」などクニさんが商品化した品々
季節になれば、新鮮なウルイもマルシェなどで販売しています。旬が終わっても長く楽しめるように商品化した「ウルイのピクルス」はシャキシャキとした歯触りとウルイ特有のぬめりがなんともあとひく美味しさがある逸品です。ナツハゼは、ジャム、シロップ、ポン酢などの他、地元のパティシエやお仲間のパン屋さんがクッキーやパンに使用してくれ、どんどんバリエーションが増えています。なお、飯舘村の道の駅「までい館」では、ソフトクリームにナツハゼジャムをトッピングして食べることができます。

甘酸っぱいナツハゼジャムは、ソフトクリームと相性抜群
さらに、昨年(2025年)8月には、飯舘村でFoodCampを開催。これまで力を合わせてきた仲間たちや、情報を見て初めて飯舘村に訪れた県内外の方々が一同に集まって、飯館の里山を歩き、テーブルを囲み、笑顔で語り合う日がやってきました。

FoodCampはクニさんのナツハゼのスカッシュで乾杯!
想いは必ず実現するー。
そんな言葉がぴったりなクニさん。最近、クニさんにはまた新たな野望が沸いてきたといいます。これからもクニさんの挑戦は続きます。
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<お知らせ>
ニコニコ菅野農園さんの商品は、ふくしま12市町村ファンサイトオンラインショップでお取り扱いしています。ぜひ、ご覧ください。
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取材・執筆:a.takeuchi 協力:ニコニコ菅野農園