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福島県葛尾村。浜通りの山あいにある小さな村で、全国的にも珍しい「ブラウンチーズ」がつくられています。キャラメルのように甘く、濃厚な味わいを持つそのチーズは、震災後の村に新しい風を吹き込む存在となりつつあります。
手がけるのは「Wisteria株式会社」。代表の遠藤祥貴さんは造園業を営みながら、葛尾村のヤギ牧場「かつらおファーム」の運営を委託で受け、チーズづくりに挑んでいます。そして、その挑戦を支えるのが、カフェスタッフやイベント企画の経験を持ち、ヤギに魅了されてこの事業に加わった木下麻美さんです。
二人が目指すのは、廃棄されるものに新しい価値を見い出し、持続可能な地域の未来へつなげていくこと。そこには「未来の子どもたちの幸せへとつなげたい」という強い願いが込められています。
造園会社が、なぜ福島県葛尾村でチーズづくりをしているのだろうーー。
そう不思議に思う人も多いでしょう。そのはじまりは、造園業で出る木や草など大量の「ごみを減らしたい」という、代表・遠藤さんの強い想いでした。
遠藤さんはもともとフランス料理の料理人。その後、独立して造園会社を立ち上げました。同時に、犯罪や非行を経験した少年たちの再犯・再非行を防ぐため、保護司としての活動にも携わっています。造園業を選んだのは、彼らに働く場を提供し、社会復帰を後押しするためでもありました。
そんな遠藤さんを長らく悩ませていたのが、草刈り後に出る大量の造園ごみです。処分のたびに多額の費用を払い、Co2を出し焼却処理をせざるを得ない状況に疑問を感じていました。
「破棄するのではなく、資源にできないだろうか」
そう考える中で注目したのが、ヤギでした。造園ごみとして処分されていた草をエサにできるのではないかと考えた遠藤さんは、葛尾村のヤギ牧場「かつらおファーム」から数頭のヤギを購入します。放牧して雑草を与え、3年間にわたって飼育の実証実験を重ねました。
「これなら、理想とする循環を形にできるかもしれない」そんな手ごたえを感じ始めた頃、ヤギを購入した「かつらおファーム」から相談が舞い込みました。
「経営が赤字で、このままでは牧場を維持できない。再建をお願いできないだろうか」
第一次産業とヤギに未来を感じていた遠藤さんは、迷いながらも、周囲の反対を押し切る形で牧場の運営を引き受ける決断をしました。
そこに加わったのが、郡山市在住の木下麻美さんです。
カフェや温浴施設の立ち上げ、イベントに携わる仕事をしていた木下さん。転機は、千葉県船橋市で開かれた「ウィスキング(フィンランド式植物療法)」の講習に参加したことでした。
会場は、遠藤さんが運営するレンタル古民家「room船橋」。「福島から来ている受講生がいる」と耳にした遠藤さんは、「一度、葛尾村のかつらおファームに来てみない?」と木下さんに声をかけたそうです。
牧場を訪れた木下さんは、そのとき目にした光景を今でも忘れられないといいます。
「のびのびと草を食べるヤギたちが本当に可愛くて。そこで、大型犬が自由に駆け回っていたんです。直感で“この世界に関わりたい”と感じました」
木下さんはその感覚を大切に、2021年から遠藤さんと本格的に活動を共にし、チーズ事業に加わります。現在、営業から商品の製造補助、包装、納品、販路開拓、マルシェ出店まで幅広い業務を一手に担う存在です。
ヤギのミルク石鹸も生産・販売している
葛尾村でいざ事業をスタートさせると、遠藤さんは震災の影響がいまも色濃く残っていることを実感しました。
ヤギの飼育には放射能の影響による多くの制限があり、刈り取った草や検査を受けていない牧草は一切与えることができません。自然豊かな地で育てているにも関わらず、飼料はすべて購入してまかなうしかないのです。こうした制限は福島だけでなく、宮城・栃木・群馬・茨城といった地域でも共通しています。
さらに葛尾村に根強く残る風評被害や、震災後に加速した過疎化など、解決すべき課題が山積みでした。
「復興を本気で考えるなら、二世代先まで見据えて行動しなければならない」
そう考えた遠藤さんは、ヤギのミルクを使って村の特産品となるチーズづくりに挑戦することを決意。2023年から本格的に製造を始めました。
では、なぜ数あるチーズの中から「ブラウンチーズ」だったのでしょうか。
きっかけは、通常なら廃棄される副産物「ホエイ(乳清)」でした。
ホエイにはラクトフェリン、αラクトアルブミン、βラクトグロブリンなど、体に有益な栄養素が豊富に含まれています。しかし、100リットルのミルクからチーズを作っても、製品になるのはわずか10%ほど。残りの大半はホエイとなり、多くが産業廃棄物として処分されてきました。
水分が多く傷みやすいため扱いが難しいホエイですが、これを長時間じっくり煮詰めると「ブラウンチーズ」に生まれ変わります。日本ではまだ馴染みがありませんが、ノルウェーでは国民食と呼ばれるほど日常的に親しまれているそうです。
キャラメルのような甘みと深いコクがあり、パンやクラッカーにのせるのはもちろん、コーヒーやワインとの相性も抜群です。そんなブラウンチーズを日本国内で製造しているのは、まだ数社しかありません。遠藤さんはこの希少性にも目をつけました。
しかし、商品化までの道のりは決して平坦ではなかったといいます。
ホエイは水分が多く、焦げやすいため火加減ひとつで仕上がりが大きく変わります。最初は「半年ほどで商品化できるだろう」と考えていたものの、納得のいく味にたどり着くまでには丸1年を要しました。
そうして完成したブラウンチーズは、発売からわずか半年で「日本ギフト大賞・福島賞」を受賞。さらに大手航空会社の機内サービスにも採用され、地域の枠を超えて多くの人の目に触れる存在となりました。
現在は、十分な量が確保できないため、牛乳を使ってチーズを製造していますが、体制を整えてヤギのミルクでチーズをつくることが目下の目標です。さらに、葛尾村にチーズ工房や体験施設を作り、村を訪れる人たちがヤギとふれあいながらチーズづくりを学べる場にしたいという構想も教えてくれました。
そして、二人は目先の事業にとどまらず、二世代先までを見据えています。
廃棄されてきたものを資源へと変え、地域の雇用や新しい産業を生み出す。その先には、日本全体の食料自給率を高めたいという大きな目標があります。
葛尾村での挑戦は、まだ始まったばかり。
けれど、この小さな一歩が未来を変える力になる。ブラウンチーズを通して描く夢は、村の希望となり、日本の食の可能性を広げていくはずです。
<Wisteria株式会社>
住所:福島県双葉郡葛尾村大字上野川字東56番地1
TEL: 090-5528-2669(営業・イベント統括担当)
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取材・執筆:奥村サヤ 協力:Wisteria株式会社