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福島県の米の生産量は、全国6位※と全国でも有数の米の産地です。会津地方、中通り、浜通りの全域で作られており、代表的な栽培品種は「コシヒカリ」、「ひとめぼれ」の他、福島県オリジナル品種「天のつぶ」などがあります。令和の米騒動といわれる昨今の米不足の中、田村市大越町(おおごえまち)で代々農業を営む橋本さんの自家保有米を今回、12市町村ファンサイトのオンラインショップにて販売させていただくことになりました。そこで、生産者である橋本さんに田村市大越町の歴史や自然、また農業にまつわるお話を伺いました。
※令和5年産の実績データより 参照: 米穀安定供給確保支援機構
石灰岩の採掘場
田村市大越町は、阿武隈高地のほぼ中央に位置しています。降雪量はそれほど多くはありませんが、年間の気温差があり、冬は東北らしい寒さがあります。また田村市と川内村の境界にそびえる大滝根山(標高1,192.1m)は阿武隈高地の最高峰で、大越町の中心地からは真っ白い山肌が見えます。これは、山全体が石灰岩でできており、大滝根山西側斜面から田村市大越町にかけて石灰岩層が走っているためです。この石灰岩は、約3億年前に生物の遺骸が海底に堆積して形成されたものといわれており、阿武隈高地は太古の時代、海底であったといわれる所以です。
大滝根山の山頂付近には航空自衛隊大滝根山分屯基地のレーダ施設がある
また、大越町にはこんな伝説が残っています。その昔、大越町早稲川(わせがわ)の里に鬼五郎と幡五郎の兄弟が住んでいました。二人は先祖から受け継いだふるさとの田畑を守り、繁栄のために、人々の先頭に立って働いていました。その頃、政府の蝦夷討伐がはじまり、陸奥(東北地方)の平定を大義に掲げる坂上田村麻呂が攻め入ってきました。これに猛然と立ち上がったのが阿武隈山系一帯に勢力をふるっていた豪族・大多鬼丸(おおたきまる)です。彼の部下であり、武道にすぐれた鬼五郎も戦いに加わり攻防を繰り返していました。
しかし、次第に敗戦の色が濃くなり、仙台平(せんだいひら)まで追い込まれてしまいます。鬼五郎は弟にふるさとを頼むと言い残し、壮絶な最期を遂げます。ふるさとのために戦い抜いた鬼五郎と、兄の遺志をつぎ豊かな里づくりに励んだ弟・幡五郎。ふるさとを愛した兄弟の想いは今も伝えられています。
米や味噌を貯蔵していた土蔵(石蔵)
今回、貴重な自家保存米を提供いただいた橋本重助さんは大越町に代々続く農家で、ご自身で14代目にあたるそう。大越町は太平洋戦争で空襲に遭い、正確な家系図が残っていないらしいのですが、古い墓石などを手掛かりするとおおよそ300年余り続いているそうです。このあたりは、阿武隈高地にある中山間地域で、郡山盆地や会津盆地のような平地が少なく、兼業農家が多いとのこと。決して広い田畑ではないですが、それでも田んぼを守り続けているには理由があるようです。
生産者の橋本さん、300年続く家系でご自身で14代目だそう
橋本さんによると、「町内を流れる牧野川を境に西側は花崗岩、東側は石灰岩に覆われています。私の家の田んぼは、この石灰岩のエリアにあり、土壌は水分をたっぷり含んだ粘土質であることから、地元ではお米が美味しい地域として知られています。また、阿武隈高地はミネラル分を多く含んだ地下水が湧き、この地域で育った馬や牛は骨が丈夫といわれてきました。先祖から受け継いだ土地を守りながら、分家した親戚や実家を離れた兄弟や子どもたちに、ふるさとの米を届けたくて、規模はだいぶ縮小しましたが、米を作り続けています」とのことでした。
朝露が清々しい大越町の初夏の田園風景
橋本さんが栽培している品種は、福島県で2番目に栽培量が多い「ひとめぼれ」です。ひとめぼれは寒冷地でも比較的栽培がしやすく、色艶が良く、優しい舌触りが魅力とのこと。以前は、「チヨニシキ」というお米を作っていたそうですが、約30年くらい前から、ひとめぼれに変更。チヨニシキは、耐冷性があり、多収でしたが、より味わいを重視した「コシヒカリ」などの良食味品種に押されて、減少。
また、以前は「はせがけ」といって、刈り取った稲を木で組んだ「はせ」に掛けて、約2週間、天日干しをしました。2週間というのは収穫した稲の成分が行ったり来たりしながら追熟する時間で、これにより適度な水分量を残しながら乾燥し、美味しさが増すのだとか。「今はそこまでの労力をかけることができなくなり、稲刈りと同時に乾燥、脱穀まで一気にしていますが、それでも、『大越の米は美味しい』と、喜んでくれます」と橋本さんはいいます。
歴史を物語る古い脱穀機
さらに、農業のスタイルもここ4~50年で大きく変わりました。「以前は、種籾(たねもみ)といって翌年の苗となる分を籾の状態で保管し、春先になると30℃くらいのぬるま湯に3日程度浸し、発芽させ、苗床に蒔き、苗をつくるところからやっていました。田植えは親戚一同が集まり、20人位で田植えをし、稲刈りも一家総出でした。今では使わなくなりましたが、脱穀機や唐箕(とうみ)もありました。全部、手作業でやっていましたね。今では考えられませんが(笑)」とのこと。
それゆえ、秋には籾殻が出るので、その籾殻を燃やすときにアルミ箔に包んださつま芋を入れておき、焼き芋にして食べていたそうです。「ご近所も同じような状況だったので、秋になるとどこからともなく籾を焼く香りがしてきて、そろそろ阿武隈高地の寒い冬がやってくるなと思ったものです」と、橋本さんが家業を継いだ頃の農業や地域の様子をお話してくださいました。
懐かしさ漂う日本の原風景が残る田村市、大越町。この土地を守り続ける橋本さんが作るお米をぜひ、ご賞味ください。そして、いつかこの風景を見に訪れていただけたら嬉しいです。
大正15年に建設された大越娯楽場、ノスタルジックな風景に出会える
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<お知らせ>
田村市大越産のお米(令和6年産ひとめぼれ)は、ふくしま12市町村ファンサイトオンラインショップでお取り扱いしています。ぜひ、ご覧ください。
▽ふくしま12市町村ファンサイト オンラインショップは⇒こちら
取材・執筆:A.takeuchi